
柏市は、人口約43万人の千葉県で5番目に大きな街です。また、柏市内にはJR常磐線やつくばエクスプレス線が通り、都心へのアクセスは抜群。
今やベッドタウンとして成長した柏市ですが、現在に至るまでには紆余曲折がありました。
柏は関東の「宝塚」を目指していた
柏に鉄道が開通したのは、1896年(明治29年)。鉄道開通によりアクセスは良くなりましたが、特色のない農村が広がっている地域でした。
昭和初期の頃に訪れた日本の経済不況に柏の将来を案じた当時の柏町長らはとある計画を立てます。
それは、レジャー施設を作って人を呼び、柏を「関東の宝塚」とする構想です。
柏を関東の宝塚化を目指すべく、当時東洋一と言われた「柏競馬場」が誕生しました。柏競馬場は開催時3日間で14万もの売上にのぼりました。当時の柏町の年間予算4万円。つまり、たった3日間で柏町の年間予算の3倍を売り上げたことになります。しかし、当時の法律で年間6日間しか競馬を開催できず、有効活用すべく頭を悩ませます。
そこで、柏競馬場内にゴルフ場を作ることに。ゴルフ場は人手が足りなくなることもある位ににぎわいました。
柏は関東の宝塚にはなれなかった
柏競馬場とゴルフ場は成功しましたが、戦渦に巻き込まれて「関東の宝塚」への夢は断たれることになりました。
競馬場は1942年で打ち切り、ゴルフ場も1943年に幕閉。
競馬場は1952年に船橋競馬場に移転し、跡地には豊四季台団地となりました。
柏市の誕生と大火、ベッドタウン化するまで
「関東の宝塚」としての道が閉ざされた柏。そんな中、1954年に柏町などの町村が合併し「柏市」が誕生しました。
柏市として再スタートをきりましたが、早くもブレーキがかかる事態が発生。
柏駅前にある既製服製造工場から出火し、柏駅周辺を焼き尽くす大火に見舞われます。柏駅近くの商店街もを飲み込む大惨事に。
しかし、柏の人々は屈することなく再建し、翌1955年には防火建築である鉄筋コンクリートの商店街へと生まれ変わりました。
また、柏駅に西口が新設されたことにより、柏駅西側の区画整理も進みました。柏市の発展と共に、柏市の人口は増加。1971年に常磐線の複々線化したことによって、都内への輸送力は強化。都内へのアクセスは格段に良くなりました。
その後、1979年に柏駅ビル「柏ローズタウン」(現・柏高島屋ステーションモール)が開業。
多くの人が柏へ押し寄せるようになり、さらなる発展に貢献しました。
2015年には「東京上野ライン」が開通。柏から乗り換えなしで東京や品川まで行けるようになり、ベッドタウンとしての注目度も高まりました。
紆余曲折ありながら、ベッドタウンとして発展してきた柏は魅力的な街なのです。
参考URL
・柏の人口:http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/020800/p000084.html
・柏の歴史:http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/280400/p018247.html
・柏の大火:http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/280400/p019344.html
・柏市合併:http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/280400/p018579.html
・柏競馬場:http://www.city.kashiwa.lg.jp/soshiki/280400/p008817.html
[最終更新日]2020/05/27 |
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