用賀の歴史と街の魅力〜便利なのに環境が良く子育てには最適な街
用賀は世田谷区の南部に位置する地域で、東急田園都市線がちょうど真ん中を通っています。用賀駅を中心として、その周辺が用賀です。
近くには環状八号線が通っていますが、砧公園や馬事公苑などもあり、緑も多い閑静な住宅地といったイメージの地域です。
用賀の上の上用賀も含めて用賀と呼ぶ場合もあります。
目次
用賀の地名の由来は「ヨガ」?
用賀という地名はヨガから来ているのだとか。
その昔、鎌倉時代にこの辺りに真言密教の修法をおさめる瑜伽(ユガ)の修験道場がありました。瑜伽とはサンスクリット語(梵語)で「yoga」のこと。今のスポーツ感覚のヨガとは違って、どちらかというと精神集中の方法といった方がイメージしやすいかもしれません。
のちに真福寺の所有となるのですが、瑜伽が用賀になったといわれています。
昔は路面電車が走っていた
用賀という地域が誕生したのは遥か昔、16世紀まで遡ります。元々は彦根藩の領地でした。明治の初期には用賀村と呼ばれる地域となりました。
20世紀に入ると玉川電車が開通し、渋谷と二子玉川園が結ばれました。当時の運賃は1区3銭、コーヒー1杯、そば1杯と同じ値段だったのだとか。当時にしてはかなり高かったので、利用する人は少なかったそうです。多摩川の砂利輸送も目的の電車だったため、「ジャリ電」とも呼ばれたそうです。この電気鉄道の開通によって都市部から移住する人が増えてきました。
この電車のおかげで、周辺地域に遊園地やプールなどが開設されたり、住宅地の分譲なども盛んに行われたため、この地域が発展してきたのです。つまり玉電の開通が高級住宅地用賀の始まりともいえるでしょう。
もう一つ、用賀を発展させた契機があります。それが関東大震災です。
大地震が起こる少し前、用賀村の村長・豊田正治氏は玉川村の隣にあった調布村(現・大田区田園調布)が宅地造成によって開発が進んでいるのを見て、これは近い将来住宅地の需要が高まると見込んで「玉川全円耕地整理」計画を策定します。どんどん宅地を作ろうとしていたところに大地震が起き、都市部からの移住に拍車をかけました。
昭和30年代に入ると移動手段が車に取って代わり、昭和44年には首都高が開通したこともあり、玉川線は廃止となりました。その代わりに開業したのが新玉川線で、これが今の東急田園都市線です。用賀駅は渋谷駅から5つ目の駅、およそ13分で到着します。
利便性がよく環境の良い街へ
用賀周辺の住民の声を聞くと、とにかく治安の良さが印象に残ります。そのせいか単身者のみならずファミリー層も多く住んでいる街です。
平成5年には世田谷ビジネススクエアができて、用賀の新たなランドマークとなります。広大な敷地に8つの建物があり、オフィスやレストラン、ショップなどが入っています。駅と直結しているので、天気が悪くても雨に濡れずにオフィスやお店に入れるのが魅力ですね。
きちんと区画整理されている街
用賀の街並みがきれいなのは、「玉川全円耕地整理」計画のおかげです。戦前から計画的に緑と共存できる住宅地の整備をしてきたおかげで、碁盤の目のように整理された区画になっているのです。
世田谷区は道が入り組んでいて分かりづらく、初めて車で来ると迷う人が多いのですが、用賀は道がまっすぐでドライバーにも優しい街なのです。
都会の真ん中なのに自然がいっぱい
用賀駅からいらか道を通っていくと、砧公園につきます。広い芝生や公園設備が整っており、休日には家族連れも多く訪れます。
中には世田谷美術館、サイクリングコース、バードサンクチュアリなど様々なエリアがあり、一人でもファミリーでも楽しめる場所です。
さらに北に向かうと馬事公苑があります。こちらでは馬と親しむためのイベントなども行われています。
(※現在工事中。一般公開は2022年の予定)
便利な商店街
駅の周辺にはスーパーも何軒かあるので、遅くなっても買い物に困ることはないでしょう。しかし用賀の魅力は200店を超す数のお店が軒を連ねる商店街です。
大抵のものはここで揃いますから、休日は家族で散歩がてら買い物を楽しむことができますよ。
抜群のアクセスの良さ
東急田園都市線はとにかく混む電車ではありますが、都心へのアクセスは抜群です。通勤を考えると、やはり近い方がいいですよね。
- 渋谷まで:およそ13分
- 新宿まで:渋谷経由で山手線。乗り換え時間も含めて30分ほど
- 池袋まで:渋谷経由で東京メトロ副都心線直通35分ほど
これだけ便利なところのなのに、周りには緑がたくさんあり、まさに都会のオアシスといったところです。
ですから用賀は、通勤や通学に便利なところで、なおかつ自然がたっぷりあって環境の良いところで暮らしたいという人にはとてもおすすめのエリアなのです。
<画像引用元>
[最終更新日]2020/05/27 |